湖(うみ)と西の地勢

土地が持つ物語を読み解き、未来の資産を築く。滋賀の歴史と風土に学ぶ、住まいと土地の視点。

なぜ彦根の平屋は「贅沢」なのか?景観条例と土地の制約を乗り越える設計

彦根の旧城下町を歩くと、ふと空が広いことに気づきます。
高い建物が少なく、視線が自然と抜けていく。それは、かつて400年もの間、この街の基準が「お城」にあったことの名残でしょう。

この街で、あえて「平屋」を構えること。
それは、建ぺい率と戦う草津や、坂道を克服する大津とは一線を画す、高さを競わず、歴史的な景観の「地」となる彦根ならではの流儀かもしれません。

ただ、彦根で平屋を建てるのは、決して容易な道ではありません。
景観を守るための厳格なルール、水害のリスク、そして土地の価格。この土地で「低く構える」ことが、なぜ一種の「贅沢」であり、同時に「賢明な選択」となりうるのか。その理由を、彦根という街が持つ特有の文脈から紐解いてみます。

この記事のポイント
  • 彦根の景観計画における「高さ12m以下」等の制限は、平屋との親和性が高いが、同時にデザインの質を問われる。
  • ハザードマップ上の浸水リスクに対し、歴史的な「嵩上げ」の知恵と現代の設備対策を組み合わせる必要がある。
  • 町家の「通り庭」に見られる空間構成は、現代の平屋における通風・採光の有効な手本となる。

高台から彦根の市街地と琵琶湖を望む風景。手前には瓦屋根の家々が広がる。

出典: Hikone view (50156990381) by Raita Futo, licensed under CC BY 2.0

景観という「見えない屋根」の下で

彦根で家を建てる際、最初に意識せざるを得ないのが「高さ」と「外観」のルールです。これは面倒な規制というより、400年続く城下町の美意識を共有するための作法と言えるでしょう。

「12m」というラインの意味、屋根と色の「彦根らしさ」

彦根市景観計画 ↗によれば、彦根城を中心とした「城下町景観形成地域」などの重点地区では、建築物の高さが厳しく制限されています。
多くのエリアで高さの上限は12m、場所によっては10m以下と定められているようです。これは、天守からの眺め、そして街から天守を望む景観を守るための、いわば聖域を画する数値となっています。

2階建てや3階建てを計画すると、この高さ制限が設計の自由度を奪う壁になることがありますが、平屋であれば、そもそもこの制限を軽々とクリアできます。
低い軒先は、ヒューマンスケールの落ち着いた街並みと自然に調和し、道ゆく人に圧迫感を与えません。彦根において平屋を選ぶことは、条例に従うという受動的な理由ではなく、街の美学に自ら寄り添う積極的な選択に思えてなりません。

また、同計画では、屋根は「勾配屋根」を基本とし、色彩も瓦のいぶし銀や黒、外壁は白や自然素材の色といった「彦根らしい色彩」が推奨されています。
平屋は、上から見下ろされる機会も多いため、屋根の美しさが家の品格を決定づけると言えるでしょう。深い軒を持つ切妻や寄棟の屋根は、彦根の多湿な気候から家を守る機能的な意味だけでなく、城下町のスカイラインの一部として静かに機能します。

土地とコストの現実的なハードル

しかし、美学だけで家は建ちません。彦根、特に人気の高いエリアで平屋を実現しようとすると、土地とコストという現実的な壁が立ちはだかります。平屋は、2階建てと同じ延床面積を確保しようとすれば、単純計算で2倍の敷地面積を必要とするためです。

建ぺい率が60%の地域で、30坪の平屋を建てようと思えば、最低でも50坪、駐車場や庭を考えれば60坪以上の土地が欲しくなります。
滋賀県の地価調査 ↗などを見ると、彦根市内の住宅地価格は場所により様々ですが、利便性の高いエリアで60坪以上のまとまった土地を取得するのは、決して安価ではありません。

土地代に加え、平屋は基礎や屋根の面積が増えるため、坪単価も割高になりがちな傾向にあります。このコストパフォーマンスの「悪さ」を、ゆとりという価値で許容できるかどうかが、最初の分かれ道になるはずです。

水害リスクへの「構え」

彦根は芹川、犬上川、宇曽川といった河川が琵琶湖に注ぐ、豊かな水郷地帯。しかし、それは同時に水害のリスクと隣り合わせであることを意味します。

平屋の最大の弱点は「垂直避難」が困難なことです。
2階がないため、浸水時に上へ逃げることができないという事情は無視できません。彦根市ハザードマップ ↗を確認すると、芹川や犬上川の流域など、浸水想定区域に含まれるエリアが市街地にも広がっていることがわかります。

歴史と技術による対策

では、平屋は危険なのでしょうか。ここで参照したいのが、古くからの知恵と現代の技術の融合です。
彦根の古い町家や集落を観察すると、石垣を積んで敷地全体を高くしたり、基礎を高くして床下浸水を防いだりする工夫が随所に見られます。

現代の建築においても、基礎高を通常より高く設定する「高基礎」や、敷地の嵩上げ(盛り土)は有効な手段です。
また、国土交通省の建築物における電気設備の浸水対策ガイドライン ↗でも示されているように、室外機や給湯器などの設備機器を架台に乗せて高く設置することも、復旧を早める備えとなります。「水」を恐れるのではなく、その土地の性質として受け入れ、適切な「構え」を作ること。それが彦根での住まいのあり方かもしれません。

現代の平屋に活かす、伝統的な「余白」の知恵

限られた敷地や、隣家が近い環境で、いかに明るく風通しの良い住まいをつくるか。そのヒントは、彦根の城下町に今も残る伝統的な住まいのつくりに隠されています。
造園家・宮城俊作氏の研究(歴史的市街地における敷地単位の空間構成と「にわ」の存在形態 ↗)では、日本の古い町並みにおける「にわ」の役割が解き明かされています。

それによると、昔の「にわ」は単なる空き地ではなく、建物の中に光や風を呼び込み、暮らしのオン・オフを緩やかにつなぐための、いわば「家の肺」のような役割を果たしていました。この「あえてつくられた余白」の考え方は、現代の平屋づくりにも大変有効です。

たとえば、かつての「通り庭」のような、外と中を曖昧につなぐ土間廊下を設けたり、建物の一部を凹ませて小さな中庭をつくったりすることで、家の奥まで心地よい光が届くようになります。
また、彦根市の歴史的なまちづくり計画 ↗にもあるように、生垣や庭木でゆるやかに境界をつくる手法は、プライバシーを守りながらも街に威圧感を与えない、彦根らしい落ち着いた佇まいを生んでくれるでしょう。

彦根城下町の中心エリア。歴史的な町割りや細い路地が今も残り、それらを読み解くことが現代の設計においても重要なヒントとなります。

天守を仰ぐための「余白」

彦根城の天守から城下を見下ろすと、瓦屋根の波が低く連なっているのが見えます。それはかつての藩主たちが、街のどこからでも城が見えるようにと意図した、都市計画の名残でもあります。

現代において平屋を選ぶこと。それは、自分の家を低く抑えることで、空に「余白」を作る行為と言えるかもしれません。その余白の先に、400年前と同じように天守がそびえている。

夕暮れ時、芹川の堤防から街を眺めると、瓦屋根の連なりの向こうに、彦根城の天守が浮かび上がります。その風景の中に、自らの住まいもまた、低く、静かに息づいている。平屋を選ぶということは、この街の「空」の一部になること。そうした贅沢があっても良い気がします。

あわせて読みたい記事

※法規・費用に関する注記:この記事で言及している内容は、一般的な傾向や公開されている資料に基づいた解説です。実際の建築に際しては、個別の土地の法規制(建ぺい率、容積率、高さ制限、景観条例など)を必ず彦根市役所の担当窓口や専門家にご確認ください。
また、地価やリスクはあくまで目安であり、土地の状況や設計内容によって大きく変動します。

(参照:彦根市景観計画滋賀県公式(地価調査)彦根市 ハザードマップ建築物における電気設備の浸水対策ガイドライン歴史的市街地における敷地単位の空間構成と「にわ」の存在形態彦根市歴史的風致維持向上計画 等)