湖(うみ)と西の地勢

土地が持つ物語を読み解き、未来の資産を築く。滋賀の歴史と風土に学ぶ、住まいと土地の視点。

なぜ最も地形が複雑な街で、最も平坦な家を建てるのか:大津で平屋を建てるということ

「平屋」という言葉は、段差のない床が広がる、どこまでもフラットな暮らしを連想させます。
一方で、大津という街を見渡せば、そこにあるのは坂道だらけの立体的で複雑な地形です。
この大きな矛盾を前にすると、少し不思議な感覚に陥るかもしれません。

なぜ、最も平坦さを求める建築形式である平屋を、滋賀県で最も地形が複雑な街である大津で、あえて建てるのか。
草津の平屋が面積確保という経済的なせめぎ合いであるとすれば、また彦根の平屋が歴史的景観との調和を求められるとすれば、大津でのそれは、この土地の地形そのものと正面から向き合うことを意味するのでしょう。

平坦な土地では決して得られない何かを手に入れるための、設計上の工夫。
この一見矛盾した組み合わせの中に、他にはない豊かな暮らしの形が見えてくるはずです。

この記事のポイント
  • 大津での平屋建築は、坂道や高低差という「垂直方向の課題」をどう解くかが中心となる。
  • 大津の歴史的建築に見られる「通り土間」や「借景」の知恵が、高低差を活かす平屋設計の着想を与えてくれる。
  • 平屋特有の災害リスクを理解し、眺望と安全な居場所を両立させる設計思想が、計画の成否を分ける。

大津市内の高台から市街地と琵琶湖を望む風景。坂道の多い地形が平屋建築に特有の課題と可能性をもたらす。

出典: 大津市内 - panoramio by Mamusi Taka, licensed under CC BY-SA 3.0

平らな地面を求めるコストと現実

大津で平屋を考えるとき、まず直面するのが家を建てるための「平らな地面」をどう確保するかという難題です。
平屋は広い建築面積を必要としますが、傾斜地では擁壁や斜面によって、実際に建物を建てられる有効面積が、登記上の敷地面積より大幅に小さくなってしまう現実があります。

この限られたスペースの中で、建ぺい率というルールを守りながら十分な床面積を確保するのは、なかなかに骨の折れるパズルです。
この難題に対する最も直接的な方法は造成工事ですが、土地を平らにするための切り土・盛り土や、安全を確保するための擁壁工事には、規模によっては高額なコストがかかるケースも少なくありません。

これは単に工事費が高いという話ではなく、大津市宅地造成等規制法 ↗といった厳しい基準をクリアするために必要な「安全への投資」でもあります。
この法律では、崖崩れや土砂流出を防ぐために、擁壁の水抜き穴の配置やコンクリートの厚みなどが細かく定められています。
高低差をお金で解決するには、こうした法的な裏付けに基づいた相応のコストが伴うことを、まず認識しておく必要があります。

土地の傾斜と歴史に学ぶ、平屋の「空間術」

高額な造成工事で土地を平坦に作り替えるのではなく、地形の傾斜を唯一無二の個性として設計に組み込む。
そこにこそ、建築家としての真摯な姿勢が表れるのかもしれません。そのヒントは、坂本や大津百町の町家・商家が長年培ってきた、歴史的な空間構成の中にひっそりと息づいています。

高低差を呼吸に変える「通り土間」の再解釈

かつての伝統的な建築には、表通りから裏庭までを貫く「通り庭(通り土間)」が存在しました。
これは単なる通路ではなく、温度差や圧力差を利用して光と風を建物の深部まで引き込む、極めて合理的な「受動的(パッシブ)な環境装置」でもありました。
この知恵を現代の平屋へと応用し、道路レベルから裏庭へと緩やかに続くスロープ状の「通り土間」を住まいの中心に据えることで、高低差を機能的な動線としてだけでなく、風を誘う装置として昇華させることができます。

こうした自然エネルギーの活用は、現代の建築環境工学の視点からもその価値が再評価されています。
例えば、東急建設技術研究所による研究報『必要換気量に対する自然換気量の定量的評価手法の提案』 等の知見では、自然換気が持つ「外乱(風の変動)による不安定さ」という課題を、機械換気と適切に組み合わせる「ハイブリッド換気」によって克服する手法が論じられています。

大津の蒸し暑い夏において、歴史が証明してきた「風の道」を設計の核としつつ、現代のセンシング技術による換気制御の視点を加える。
古典的な空間構成と現代の工学的な知見を融合させることこそが、自然の恩恵を最大限に享受しながら、一年を通じて快適で健康的な住環境を実現するための賢明なアプローチと言えるでしょう。

眺望とプライバシーを両立する借景と中庭

皇子山などの丘陵地がもたらす最大の資産は、琵琶湖や比叡山を望む眺望です。
この景色を室内に取り込む「借景」は、京都の寺社建築にも通じる、この地の風土が育んだ美意識であり、平屋はこの借景を最もダイナミックに感じられる建築形式と言えるでしょう。

ただ、大きな窓は外部からの視線という課題と常に隣り合わせです。
そこで鍵となるのが「中庭(コート)」の存在です。
例えば、道路側は壁で閉じてプライバシーを守りつつ、家の中心に小さな中庭を設ける。
そうすることで、外からの視線を遮りながら、家全体に安定した光と風を届けることができます。

そしてこの中庭は、単なる採光装置以上の重要な役割を果たします。
それは、家の中を歩くときの「心の動き」をデザインする装置としての役割です。

空間体験に関する建築論文『空間体験に基づいた心地よいシークエンスの身体的な図式の表現方法に関する研究』↗でも論じられているように、人が感じる空間の心地よさは、静止した状態だけでなく、移動に伴って景色が展開していく「シークエンス(連続性)」に深く関係しています。
中庭があることで、玄関では「抑制された静かな緑」を感じ、そこから廊下を抜けてリビングに入った瞬間に「開放的な琵琶湖の絶景」に出会う。
この「閉じて、開く」という劇的な変化こそが、ただ広いだけの空間では味わえない、平屋ならではの豊かさを決定づけるのです。

皇子山公園周辺。山麓に広がる住宅地では、平屋を建てる際に高低差をどう克服するかが設計の要となります。

景観ルールを味方につける設計

大津で平屋を建てることは、この街の歴史や自然環境と、建築を通じて関わりを持つことでもあります。
エリアごとに求められるデザインが異なる点は、平屋を建てる上での制約であると同時に、その土地の歴史に根差した、質の高いデザインを生み出すためのヒントにもなるはずです。

坂本 門前町の静謐さに寄り添う

比叡山延暦寺の門前町として栄えた坂本エリア
ここでの景観の基調は、里坊が持つ「穴太衆積み」の野趣あふれる石垣と、それと対をなす白壁の美しいコントラストにあります。

この地に平屋を建てることは、その歴史的なスケール感と静謐な空気感の一部を、現代の暮らしの中に取り込む試みとも言えるでしょう。
大津市歴史的風致維持向上計画 ↗においても、坂本エリアの石積みや里坊群は、大津の歴史を語る上で欠かせない「維持すべき風致」として明確に位置づけられています。
個人の住宅であっても、外壁に伝統的な焼き杉や漆喰調の素材を選んだり、建物を道路から少し後退させて緑を配したりすることで、この街並みという大きな物語の一部になることができます。

石積みの街並みが美しい坂本エリア。歴史的な景観に調和する平屋のデザインが求められます。

琵琶湖 風致地区の風景に溶け込む

雄琴や唐崎といった湖岸の一部では、琵琶湖の自然景観を守るための「風致地区」に指定されている場所があります。
特に重要になるのが、後背地の山並みや湖面の眺望を遮らないための、厳格な高さ制限です。
この規制に対し、屋根が低く、水平ラインが美しく伸びる平屋は、建築形式として極めて相性が良いと言えます。

ここでは、建物の存在感を主張するのではなく、いかに風景の一部となるかが設計の要点となります。
例えば、屋根の形状を緩やかな片流れ屋根とし、湖に向かって視線が抜けるような開放的なリビングを設計する。
そうすることで、室内からダイナミックなパノラマを享受しつつ、外観は圧迫感なく周囲に馴染みます。

唐崎・雄琴エリアの湖岸。風致地区として高さ制限があるため、低く構える平屋との親和性が高い場所です。

災害リスクと平屋特有の脆弱性

そして、最も真摯に検討すべきが、災害リスクです。
ここでは平屋という形式を選ぶ際に、特に意識すべき点に絞って考えます。

最大の問題点は、万が一の際に上階へ逃げる垂直避難ができないことです。
山麓部で懸念される土砂災害では、平屋は居住空間が1階に集中するため、土砂の流入が即、生活空間の壊滅に繋がる可能性があります。
だからこそ、崖からの離隔距離や壁の構造強化が、2階建て以上に重要な意味を持つのです。

また、湖岸部での浸水害では、平屋はすべての居住空間が浸水レベルに近いため、床上浸水が生活機能の完全な喪失を意味します。
実際に大津市ハザードマップ ↗で浸水想定区域を確認してみると、湖岸部だけでなく、内陸の河川周辺にもリスクが潜んでいる場所があることが分かります。
そのため、基礎自体を高く設定する「高基礎」は、単なる選択肢ではなく、平屋の生命線を守るための必須の戦略となりうるのです。

眺望に開くか 安心に閉じるか

大津の坂道で平屋を建てることは、眺望という開放感と、背後の安全という安心感、この二つの願いをどう両立させるかという点に集約されます。

旧東海道の古い町家を訪れた際、表通りの喧騒から一歩奥まった坪庭に射す光の静けさに、心が洗われるような感覚を覚えました。
傾斜地でありながらも、設計の工夫で、外部からの視線が届かないプライベートな中庭を持つ平屋。
それは、外への眺望よりも、内なる空間の落ち着きや家族だけの安心感を最優先するあり方と言えるでしょう。

一方で、高台に立ち、琵琶湖を見下ろす大きな窓を持つ平屋。
それは、日々の眺望という精神的な充足感を最優先する生き方です。
多少のコストや坂道の上り下りという身体的負荷は、この圧倒的な開放感を得るための対価と考えることもできます。

大津で平屋を建てることは、外に開く暮らしと内に閉じる暮らし、どちらのあり方を望むかという、住まい手の表明でもあります。
平坦な土地での家づくりが失ってしまった、土地と関わり、暮らしの輪郭を描き直す機会が、ここには残されています。

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